小さい頃から「何となく周りとズレている」、「何か世の中、生きにくいな」と感じていました。ひょんなことから自分がADHDであることが発覚します。
この記事では、わたしが発達障害(ADHDグレー)と発覚するまでの長い道のりを綴っております。ADHDの子を持つ保護者の方にとって、我が子の苦悩を理解する参考になれば幸いです。とはいっても、ただの雑記ですので興味のない方はスルーして下さいね笑
「その1」では出生から小学校時代までの話をしていきます。
いきなり躓く!? ー出生時代ー
19XX年○月△日、都内の某病院で誕生しました。
生前の記憶!?当然、ありません汗
たぶんアメーバーか猫かな・・・
親から聞いた話では、この生まれた日は色々と問題があったとのこと・・・
<出産時期の問題>
・出産時期が予定より早まった
・帝王切開による緊急オペ
・手術中の停電
・生後、別の赤ちゃんと入れ替わり事件発生
社会に出る第1歩から躓いてしまった汗
でもこれを乗り切ったわたし、偉い!
母親、凄い!
皆々様に謝謝!!
天生の気質!? ー学童〜幼稚園時代ー
この頃のわたしは興味のない事は一切やらない、自分にとても正直な子でした笑
みんなで踊ったり、みんなでボールで遊んだり、みんなで歌ったり・・・
大っ嫌いでした!!!!
個人でそれらをやる分にはそれほど嫌いではなかったと思います。
”みんなで一緒に”というところが引っかかっていたようです。
その理由は2つ。
理由①:そもそも人集りが苦手だった。
理由②:わざわざ自分がやる必要性を感じていなかったた。
理由①については、どういうわけか人に囲まれたり、輪の中に入るのが嫌いでした。
自分にとって何か不利益なことをされるのではないかと恐っかたのです・・・
理由②については、歌にしろ踊りにしろ皆んなで同じことをやっいて、自分1人が抜けても勝手に上手く進んでいくのだから、自分がそこにいる価値はそれほどないなと思っていました。
今思えば、単に楽をしたかっただけかもしれません。
自分の代わりにやっといて!ってな感じ笑
この頃から、わたしは既に世の中の生き辛さを感じていました。
嫌いなもので溢れていて、それに触れるたびに神経をすり減らし、1日が終わる頃にはヘトヘトでした。
では当時、数少ない好きだったものを紹介します。
<好きなもの>
・ドラえ○ん
・ミニ四駆
・水、麦茶、牛乳、ココア、乳飲料
・お菓子
以上
空前絶後!? ー小学校時代ー
正直に言って、小学校時代の記憶はほぼ有りません。
余程辛いことがあったのか、脳がその記憶を封印してしまっているのでしょう・・・
ただし、親戚の集まりで毎度ネタになる数々の伝説があるのでそれを記載します。
伝説①:入学式編
入学式のとき、先生方の長い話を”大人しく”聞いていられなかったわたしは、椅子をカタカタと前後に揺らして遊んでいました。あるときバランスを崩して、ガッターン!!と見事に後ろへ倒れてしまい、その場にいた全員の注目の的となりました。その後、親に怒られたのは言うまでもない・・・・
伝説②:失踪事件編
授業中、隣の人とおしゃべりに夢中になっていたら、先生に「教室から出て行きなさい!」と言われ、素直に出て行きました。その後、授業から解放されたと勘違いして校庭に遊びに行ってしまい、先生が慌てて呼び戻しに来るという事件がありました。その後、先生の説教が会ったのは言うまでもない・・・
伝説③:ぶち抜き事件編
小学校高学年になると、イライラした時にものに当たる癖がありました。ひょんなある日、鬱憤を晴らそうと教室の壁を蹴ったら、ぶち抜いてしましました汗(ちなみにこの時、空手をやってました)。その後、先生に怒られたのは言うまでもない・・・
伝説④:要観察編
ものへ当たる癖により器物破損が度重なり、先生と2者面談になりました。何に苛立っているのか理由を聞かれ、「学校はムカつく顔がゴロゴロあって、その上退屈だから」と平然と言い放ち先生を閉口させる。その後、要観察対象となったのは言うまでもない・・・・
ちなみに学校内の交友関係はありましたが、そこまで好きでもありませんでした。
毎日毎日、顔を合わすことに飽きがあり、コミニティを学校の外に求めていました。
具体的に言うと習い事です。
小学校の頃は数々の習い事をやっていて、週6入ってました。
月曜:空手、火曜:英会話、水曜:書道、空手、木曜:水泳、金曜:空手、土曜:絵画
小学生にして時間刻みのスケジュールで多忙でした汗
月謝、いくら掛かってたんだろー
この経験を活かし、習い事についての記事も別途書いていこうと思います♪
この頃は、わたしも親もADHDという言葉もその存在も知りませんでした。
なので、他の人と異なること=問題ありと捉えていて”普通に”なるための努力や周りからの矯正が入ることになります。
これが黒歴史の幕開けです!
続きは、その2へどうぞ♪