わたしが発達障害(ADHDグレー)と発覚するまでの長い道のりを綴っております。
ADHDの子を持つ保護者の方にとって、我が子の苦悩を理解する参考になれば幸いです。
とはいっても、ただの雑記ですので興味のない方はスルーして下さいね笑
「その3」では大学時代から今日に至るまでの話をしていきます。
春到来!? ー大学時代ー
この頃になると周りからの矯正から解放され、自由を手にします。
そこで一気に色々なことに興味を持ちはじめます。
そして灰色だった世界が彩を持って見えてきました。
大学時代のわたしは「やりたい事」を片っ端から手をつけました。
学園生活では
・専攻学科(工学部)の勉強に励む
卒業最低単位数に対して、+30以上取ったと思います。
特に流体力学やプラズマ工学が好きでした。
・他学科の授業も履修する
音楽科(DTM)は特に面白かったです。
・図書館に入り浸る
大学はとても広大な敷地で図書館はいくつかありました。
理工系、芸術系、人文系など梯子してました。
・委員会活動に精を出す
生徒会の役員を決める選挙の運営を主に行い、ついで建学際運営の手伝いもしてました。
裏側を知れた気がしてワクワクしてやってました。
・格闘系公認サークルで主将を務める
公認サークルの主将ともなる幹部という扱いになります。かっこいーーー!
サークル離れが進む昨今、今でも存続していることを嬉しく思います。(20’年時点)
・学内でバイトをする
授業の合間に入れて効率的に稼いでました。
初めて自分で手にしたお金です〜〜〜
大学は自分の価値を周りから認めてもらえる環境が沢山ありました。
今でも時折、遊びにいく程に自分にぴったり合っていたのでしょう。
先生方、サークルの仲間、同研究室の仲間たちに感謝です!!
私生活では
・RPGゲーム作成
シナリオを書いたり、プログラムしたり創作する喜びを感じていました。
・作曲
作った曲は両手で数えられるほどですが、理論など気にせず作っていました。
・本を読む
純文学、哲学、ギリシャ神話、恋愛小説などジャンルに捕われず本を読んでました。
・習い事をする
音楽への興味が開花し、フルート、エレクトーンをはじめました。
想いを表現する方法、見せる方法を学びました。
今思えば大学時代は、自分で考えてものを創作したり、自己を表現したり、知識を吸収することの楽しさを知った時代です。
やりたいことが直ぐできる! まさに人生の春でした〜
晴れのち曇りのち晴れ!? ー今に至るー
無事に大学を卒業し、いよいよ社会人デビューです!
さぁ、このあたりから雲行きが怪しくなります。
まさか、2度も転職をすることになるとは誰が想像したでしょう、、、
最初の1社目は技術職として8年ぐらい務めましたが、ここでは割と順調でした。
成果も残し査定も良かったので、客観的に見ても問題はなかったと言えるでしょう。
成長するにつれて価値観が変わり、ひょんなことで1回目の転職をします。
ここで大きく歯車が狂います。
1社目で成功していただけに自信満々で入社したのですが、2社目では仕事が覚えられず、同じミスも連発し、その会社では全く使えない部類の人間に格付けされました。
さらに毎日上司から、わたしの一挙手一頭足を注意されアドバイスという名の矯正が入り、
どんどん萎縮して負のスパイラルに突入します。
いますぐ、地球が消滅すればいいのに!
本気で思っていました笑 もう鬱ですね・・・
1年半、自分なりに努力しましたが改善する兆しはありませんでした。
「努力が足りなかった」「改善方法が悪かった」など色々意見があると思いますが・・・
精神をすり減らし、反省にエネルギーを使うほどの余力は既にありませんでした。
幼少の頃のことを振り返り、自分は「他の人とは違い、脳にどこか何か問題があるのではないだろうか。」と、ようやく脳検査の受診を決意します。
<脳検査の結果>
・MRI:異常なし
・発達障害:ADHDグレー
某クリニックで脳波を見て頂きましたが、常に前頭葉から頭頂部にかけてtheta波が真っ赤に出ていました。
なるほど、「どおりで毎日が死ぬほど疲れる訳だ」と納得しました。
起きていても安静にしていてもも脳が休まるときはないのだから汗
会社に発達障害グレーであることを内々で会社に告げると同時に、退職の意を示し2度目の転職をします。(特に強い引き止めもなかったので、双方ベストな選択だったと思います。)
そこで2度目の転職で重視した事は以下の3つ
<2度目の転職で重視したこと>
・個人の特性をありのまま受け入れてくれる環境
・自分の得意/好きが活かせる環境
・年収の事は下がっても気にしない(副業を見据えて)
色々悩んだ結果、今の介護業界への転職に至ります。
理系大学を卒業し、約10年間ずっと技術職にいましたので大きな決断です。
周りの方々も驚いたことでしょう。
介護の世界は「相手に深く寄り添い、その方らしさを受け入れる」ところから始まります。
どんな特性を持っていてもそれが個性であり、それを尊重する事が大切なのです。
施設で働く職員側も同様です。
ADHDのわたしでも活躍する場、認めて貰える場がありました。
何かアクティビティを企画したり、楽器を演奏して皆んなで歌ったり・・・
創造する喜びがあります。
〜そして、今に至る〜
これまでの自分の苦悩があるからこそ、入居者様に寄り添ってその方の個性を尊重し、その方らしさを引き出していける人間を目指そうと日々奮闘中です汗